バンビ☆ツアーズ

心に生きる。


父が逝きました。

クリスマスのお昼のことです。

血圧が低くなって、「いつ何があっても・・」という状態になったので、
病室の父の横で、簡易ベッドで休む日が続きました。

叔母さんがお見舞いに来てくれた日、
夫と息子のクリスマスプレゼントを買いに行くことができました。

一つはサンタさんから。

もう一つはおじいちゃんから。

父から頼まれていた息子へクリスマスの贈り物。
選んだのはわたしですが、今年は今までになく「これだ!」と思うものが用意できました。
なんだか必然を感じるのです。
全てがとどこおりなく、どこかへ向かっているような、
不思議な完璧さで、わたしたちはクリスマスを迎えました。

イブの夜も帰れなくて、クリスマスの朝、まだ日も昇らぬ頃に家に帰ると、
クリスマスケーキの、一番素敵な部分(サンタ・イチゴ・プレート)が、
半分になったデコレーションケーキの上に所狭しと並んでいました。

「いちごおいといてあげる!サンタさんも!」と電話口で話してくれた息子。

ありがとうね。
父の闘病が残してくれたものの一つに、あなたの成長があります。

台所で立ったまま、少しだけ食べたケーキは、クリスマスの味そのもので、
なんだかすこし、悲しい味がしました。

病院に戻って、朦朧とした父のそばで、何をすればよいのか分からず、
そわそわと時間をすごしました。

何もしていないのに、どんどん時間は過ぎていき、
父も、何もしていないのに、どんどん消耗していきました。

いったいいつそのときがやってくるのか、もちろんわたしには分からず、
ただ(自分が)落ち着いている状態の間に、やっておかなければならないことを
すこしづつ片付けていました。

やるべきことがなくなり、いすに座って、パンをかじっていたときでした。

ふと目線をあげると、ここ数日高かった心拍数が半分くらいになっていて、
数字がどんどんどんどん小さくなっていきます。
荒かった呼吸も、うそのように静かになっています。

ただごとではない、と直感しました。
ナースコールを押しながら、窓越しの看護婦さんに異常を訴えました。
うまく言葉になりません。

「お父さん!」って呼ぼうとしたけれど、声になりませんでした。

何人もの看護婦さんがやってきて、主治医が訪れ、
そしてそのまま、父は息をひきとりました。


とても安らかな顔で、父は苦しみから解放されました。


まるで、わたしの用意を待ってくれていたような、そんな気がしてなりません。


父の残したメモの中に、

「(むすめ)に用事のことを聞く。まだだという。
毎日聞かなければ不安である。
(むすめ)は性格的に聞き流し、苦にすることもない。
それでいて大ポカもしない。得な性格である。」

と記されていました。

・・・そのとおり。

嫌なことはいつまでたってもしないのです。
お尻に火がついて、アチチチチ!ってならないと。



待っててくれてありがとう。さすがお父さん。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



お見送りの儀式を通して、ちゃんとさよならすることができました。

毎日泣かない日はなかった。

苦しい日々でした。

後悔が押し寄せて、

感情が爆発してしまう日もあった。

そんな時、夫と息子が、いつもそばにいてくれました。

顔を見ると笑いかけてくれました。

気のきいたことは言えないヤツラですが、

いっぱい助けてもらいました。

周りの人に支えられて、今こうして立っていることができます。


まだまだ、感情のゆれは激しいけれど、

父の最期の一週間の苦しみを思うと、

父が今苦しんでいないことが、

わたしの救いです。

くしくも、年末年始のお休みで、

家族はいつもわたしのそばに。


さみしくないやろ。って。

お父さんの粋なはからいです。




皆さん、本当にありがとうございました。

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おどろくなかれ

今日からモルヒネの投与が始まりました。
ほとんど空中遊泳しているような、そんな状態です。

「きたよ、分かる?」の問いかけに、うなずく程度。

初日はトロトロになってしまうのだそうです。
明日、話ができたらいいなと思います。

ここ数日で、容態が一気に悪化している父ですが、
医師いわく、これが本来の姿だそうです。
この状態が普通。
あの数日が異様だったのです。
どこから出てきた元気だったのか。
精神的に追い詰められ、
すべてメーターが振り切れて、
誤作動を起こしたような、そんな感じだと思います。

そして、誤作動の代償が今。
なんだったんだろう。

やはり人間はムツカシイです。

父は、家に帰ってPCを開くのを楽しみにしていました。
持ち株のことも気になっていたでしょう。
だけど、父はパソコンを開くことができませんでした。
正確には、電源を入れた後、
どうするかが分からなくなってしまっていたのです。

「明日の記憶」という本の最後のほうを思い出しました。
音を立てて、自分が失われていくのです。

最近の父のメモにも、「分からない、ワカラナイ、忘れてしまった」と
何度も書いてありました。
電話口でわたしに話したどうでもいいような報告もメモしてありました。
父は自分をつなぎとめておきたかったんだろうな。
全部、覚えておきたかったんだな。
そうしないと、大切なことまで忘れそうだから。

父の不安の大きさ、あらためて感じます。

分かってあげられなくて、ごめんね。


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今日の父。

あいかわらず、熱が続いている。

酸素マスクをして、自力で起き上がることすらできない父。

トイレもままならない。

水も、自分では飲めない。

大体昼ごろまで、意識もはっきりしない感じ。

昼ごろから「何時?何日?」と気にしだす。

夜の睡眠薬が、まだ残っているのかな。


年賀状の心配をする父。

わたしはとっくにあきらめたよ。

父の傍らで、介抱以外は、ずっと編み物をしています。

読書は(気が散って)できそうもないし、

ゲームをするって心境でもない。

何もせずに、すっかり弱ってしまった父だけを見つめていると、

自分が押しつぶされそうになる。

わたしが父を壊してしまったのかな。

父から奪ってしまったのかな。

そんなことばかり、頭をよぎる。


編み物はちょうどいい。

何も考えないでいいから。

ほら、長くなったよ。と見せると、父が手触りを確かめる。

ささやかな時間が、私たちには大切な時間になるのだろうな。


今日は父が、「そろそろいいよ」と帰りを促してくれた。

あぁ、わたしのお父さんだ。

「うん、じゃぁ、また明日ね。」と手を握る。

父がわたしの手を握り返す。

しばらく骨ばった手をさすって、部屋を後にした。

病院を出ても、わたしの鼻の奥には、

病院独特の匂いが・・・。

「しんきくさい」ってこういう匂いかもしれない。

とかく視線は斜め下を向きがちだけど、

見上げれば長い飛行機雲。

いろんなことが落ち着いたら、どっか遠くへ行きたいなぁ。










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いつかくる、その時が

いつかくる、その時が。

夜が明けるように。

夕日が沈むように。

いつかくる、その時が。

静かに、荒々しく。

いつかくる、その時。

命あるもの全てに、それは訪れ、

誰もそれを奪うことはできない。

いつかくるのだ、その時が。

普遍的で

いつだって新鮮。

いつかくるその時は。

祈りとあきらめ。

怒りと感謝。

世界の終わりと、世界のはじまり。

いつかやってくる、その時。

身構えずに、自然に。

全身全霊で、受け入れよう。

いつかくる、ありふれた、特別な時間。






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その後の父

わたしが抱いたイメージ。

父は、一生懸命情報を溜め込んでいたんだと思う。自分の中に。

意識が朦朧としている中でも、看護師さんが隣のベッドの人に話すこと、
医師が家族に説明すること、じっと耳を澄まして聞いている。ように見える。

一日に何度も計る体温・血圧・食事の量・排尿の量・便の有無。
その全てを父は独自にメモしていた。

情報をかき集めて、集められるだけ集めて、分析して、自分に置き換えて、
そしてついにパンクしちゃったんじゃないかな。

そんな風に思う。

情報を集めたのは、不安だったからだと思う。
いつからか、それが誰のための情報なのかも分からなくなって、
自分にとって大切な情報の識別もできなくなってしまって、
ただただ全部取り込んでしまっていたんだ。

昨日父は、カーテンを隔てた隣の人に対する呼びかけを、
全て自分のことのように返事をしていた。

条件反射というか、状況が判断できなくなってしまった様子。
ほんの一日で、父からどんどん何かがこぼれていっている。

何度も何度も同じ説明を繰り返した。
だけど、分かってくれるようになった。
朝はご機嫌なときもあって、わたしの話を聞いて
笑っていた。

父がぽつりと「なんでかなぁ、反対言ってまうねんや。」と言う。
ベッドを上げて欲しいのに、「もういい。」って言ったり。
痛いのに痛くないって言ったり。
まだまだ苛立ちの種火は残っているみたいだ。

父は線香花火の、最後のように、ここ数日バチバチと火花を散らしていたのだろうか。
今は静かに、その火を燃やしている。
わたしは、落っこちないように、見張っているのだ。


一夜明けて、今日は朝から熱が出ていて、やっぱり朦朧。
だけど、意識ははっきりしているよう。
間違って返事をしたりもしない。

水を飲んだり、フルーツを食べたり、少しだけど、介添えっぽいこともした。
昨日こだわっていたベッドの位置、テーブルの位置など、気にしている様子もない。

時折「次の社長は誰やろ」とか言う。「さぁ誰やろうなぁ?」と言うと
「今の社長は誰やった?」と聞いてくるので、
「ごめん、今の社長も知らんねん」と答えると、
「そうか」と納得。もちろん、何の話か分からない。

物思いにふけっているときもあって、
「悪いなぁ」とつぶやいたりもする。
「何にも悪いことない、何が悪いのん。」と言うと
「病気になって、心配かけて」と一生懸命わたしに詫びる。

一口の水を飲むのも苦しそうな父。
こんなことになるのなら、
わたしはどうしてもっと機嫌よく家に帰らせてあげることができなかったんだろうか。
わたしはバカだなぁ。

正気に戻りつつあるのに、体は動かないなんて、

人間は難しいなぁ。











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そして

今日からしばらく仕事をお休みすることになりました。

父の様子は、想像をはるかに超えていました。

昨日の夜、大きな痙攣の発作があったそうです。


先生からは、
「精神科のないこの病院でお父さんの精神的な症状には、
眠ってもらうお薬で対応していくことになります。
そうなると、呼吸が浅くなるというリスクもあり、
呼吸が困難になったときの処置、
すなわち今後の治療方針について決めていただく必要があります。
お父様の場合、おおもとの病気である癌は治癒の見込みはありません。
癌に対しての治療は、もう限界に達していると言う事をまずご了解ください。
その上で、延命措置について考えていただきたいのです。
人工呼吸器にいったんつないでしまった場合、意識のあるなし、
治癒の見込みのあるなしにかかわらず、外すということはできません。
それは本人さんの病の苦しみ、またご家族の苦しみをのばしてしまうことでもあります。
また、今現在の状態から言って、脳に何かが生じている可能性も否定できません。
その場合も、治療を希望されるかを考えてください。」
などなどのお話がありました。

今日は父の姉がお見舞いに来てくれることになっていたので、
「相談して決めます。」とお返事しました。

父の姉、すなわち叔母さんのご主人も20年ほど前に癌で亡くなっています。
病室に入った叔母は、父の変わり果てた姿を見て、言葉を失っていました。

父は、そういう姿を見られたくなかったのでしょう。背中を向けていました。

朝一番のときは、わたしとは言葉(というかうなずき)で
コミュニケーションを交わしてくれた父でしたが、
叔母さんを呼んだことが気に食わなかったようで、
その後はもうわたしに対しても自分を閉ざしてしまいました。

ベッドの柵を握り締めて、時折起き上がろうとするのですが、
二日近く点滴抜きだったからか、その力も今日はもう出ませんでした。
トイレに行きたいとベッドに腰掛けたのですが、
ベッドから立ち上がることができなくて、でも横になるのも嫌で、
一時間くらい葛藤していました。
「寝る?横になる?」などと声をかけると、うなり声を上げて拒絶します。
どうしても思ったようにやりたいのだから、
諦めがつくまでやってみるのがいいと思いました。

一時間後、慎重に声をかけて、寝かせました。
よっぽど疲れたのか、すぐに寝息が聞こえてきました。

父を起こしている間に、「水飲む?」と言うと、うなずいたので
コップに入れて少しづつ口に含ませました。
「もうちょっと。」「まだや」などと言いながら、
一杯分くらいの水で口をゆすいだり、飲んだりしました。
飲んだときには「あぁ、うまいわ」と言っていて、
こんな風に通じ合える時間をうれしく感じました。

水の欲求が終わると、やはり拒否に戻ってしまったからです。


しばらくして主治医の先生と治療方針について話をしました。
外科部長も現れて、
「今のお父様は、完全に人格が変わってしまっています。
ご本人も今のままでは辛いはずです。
眠らせてあげるというのは、本人にとってもいいことなのだと思いますよ。」
というようなことを言われました。

昨日調べていて、父の今の現状に近い症状が載っていたので、
先生に「父はせん妄という状況なのでしょうか」とたずねたところ
「それを超えています」と言われました。

<<せん妄の詳しい説明へリンク>>

以前、父と薬師寺で健康についての話を聞きました。

健康とは本当は「健体康心」の四文字熟語だそうです。
健やかな体に康らかな心。
最近は心の病を患う方が増えているが、
心も大事にしなければならない。
どちらもバランスが大切だと、そんなお話だったように思います。

そういうことがふっと思い出されて、今の父を見ると、とても悲しくなってしまいます。
これから父のことをたくさん思い出したいと思います。
そして目の前にいる父に、愛を注ぎたいです。

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長い一日。

何から書いていいのか分からないくらい、いろんなことがありました。
昨日は父の支離滅裂な行動に、身体、感情ともに振り回された一日でした。
夜もあまり眠れず、こんなこと初めてなのですが、食欲もありません。


そして、わたしはまた一つ、永遠に後悔するであろうことを増やしてしまいました。


父が、息子を、攻撃するようになったときから、
わたしの中で何かが変わってしまったようです。

父は息子よりも自分を優先させることを望みました。
偏執的に自分の要求を通そうとしました。

わたしは父の要求を全面的に受け入れることができなかった。
それどころか、わたしの態度は父自身を拒むようなものでした。

わたしもこの何ヶ月かの緊張状態がピークに達し、
心の平穏が保てていないのだと思います。

結局今朝、父は出かけに錯乱して、私自身もそんな父を見てパニックになり、
主治医の先生に説得してもらい、再度、入院させてもらうことになりました。
先生は「かなり無理をしての退院でした。大変だったと思います。
だけど、一晩だけでも帰られたことは、本人さんにとって良かったと思います」と言われました。

だけど自責の念ばかりが、湧き上がります。
たった一日で降参してしまう自分のふがいなさ。
父のことが許せない短気なところ。
もっとできることがあっただろうなぁ。
父が望んでたのは・・・。


わたしのほうがどうしようもなくなって、夫に帰ってきてもらうことにしました。
帰ってきた頃にはわたしの気分も幾分落ち着いていたので、
再入院の用意を手伝ってもらって、父がまた興奮するといけないから、
父には会わずに待っていてもらいました。
病院内にいてくれることが、心強かったです。


父の様子は相変わらずで、一緒にいるとこちらが参ってしまいます。

挨拶に行った看護師の主任さんに、
「あれは病気がああさせてるんやから、本当の○○さんを私たちは知ってるからね。
悪いのは○○さんやないよ、病気が悪いんよ。一緒にがんばっていきましょう。」
と声をかけていただきました。

そうだなぁ、あれが本当の父ではないんだ。

一人になるのが怖かったので、待っていてくれた夫について回り、
携帯の契約や、車の修理やらに行きました。
少し気分転換になりました。

夜に主治医から再度電話があり、
父の様子が目を話せない状況であると聞かされました。

呆然として、呼びかけに反応しないと言うのです。

あまりの激しい変化に、愕然とします。


そしてやっぱり、父には生きて欲しいのです。















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最善とは。

どんどんわたしの知っている父ではなくなっていきます。

そのことが何よりも悲しく、何よりもつらいです。

今日、息子と一緒にお見舞いに行くと、携帯とにらめっこしている父の姿。
表情から言って、機嫌は良くなさそう・・。「今、忙しいんや。」

息子はジュースを飲み始めました。

父の点滴がなくなっていたので、ナースコール。
点滴の処理をしてくれている間も父は携帯を手放さず、
看護婦さんの手を止めていてもお構いなし。
看護婦さんはそんな父をとがめることもなく、待ってくれていました。

息子がわたしとじゃんけんに興じていると、
父がおもむろにフルーツのシロップ漬け(病院食)を食べ始めました。
食事に関してすごく神経質になっているので、
話しかけずわたしは息子とじゃんけんを続けました。

父が急に顔をゆがめて、スプーンをおきました。
「せっかく食べれてたのに、食べらへんようになった。」と言うのです。
「○○(息子)くんがうるさいからや。」と。
わたしの背中に隠れて腕の横から顔だけ出している息子に向かって、
「やかましくするから食べられへんやないか。」と繰り返すのです。
息子はわたしの背中に隠れて、どんどんどんどん小さくなっていきます。
わたしは「ごめんね、でも○○も頑張ってると思うよ。」と言うと
「人がせっかく食べれてんのに邪魔するんや。」などとひどい剣幕なのです。
しかもしつこい。

息子はいたたまれなくなったのか、そっと病室を出て行きました。

父は「はじめてうまいと思って食べれたんや、それがどういうことか分かるか?
完治したいうことや。せっかくのチャンスをつぶしたんやで。
これは重大なことやで。お前もショックかもしれへんけど、わしはもっとショックや。」
と延々喋り続けます。
もう父の頭に息子のことを心配する余裕などないようなのです。
ましてやフルーツをおいしく食べられたから完治だなんて、どうかしています。

わたしはとにかく謝りました。
それで気が済んでくれるのなら、いくらだって謝ります。
そして息子を連れて来るべきではないのだということを悟りました。
父はわたしには負い目を感じているのでしょう。
わたしを攻撃対象にすることは父自身が避けたいと感じているんだと思います。
やりきれなさが孫に向かうなんて、想像もしていませんでしたが。

頃合いを見計らって、「わたし、あの子探してくるわ」と言いました。
父はそれでもしゃべり続けます。
もう一度「お父さん、あの子、心配やから探してくる。」と言うと
「あぁ、そうやな、叱ったらあかんで。もう一回連れておいで。握手してから帰ってや」と言います。
わたしは父をなんて勝手な人だろうと思いました。

息子はエレベーターホールの前で、座って待っていました。
その姿を見ると、悲しくて胸が張り裂けそうでした。
この子を傷つけるのだけは止めて欲しい。そう思いました。
「ごめんな。」と謝ると、「ううん、いいよ。」と首を振ります。
「おじいちゃんが握手したいねんて。」と言い、二人手をつないで戻りました。
父は病室の中ほどまで出てきて、「ごめんな、悪かったな、また来てや。」と言い、
エレベーターのところまで見送りにきました。
手を振って別れました。

夕方、父から電話があって、
(電話できる状態すなわち息子が背後にいない状況で)かけなおして欲しいと言われ、
その通りにしました。
「まだショックが抜けきらへんけど、トイレに行きたくなったら突然電話切るからな、
最初に言うとくで。それからもうちょっと静かにさせなあかんわ。電話聞こえてくるで。」
息子は確かに静かにするのが難しい時があります。
それは父にも何度も伝えてきました。
それにここ最近の息子は、決して暴れん坊ではないのです。

用件は持ってきて欲しいもののことと、
先ほど格闘していた携帯のメールがどうしてもできないということでした。
そして翌日は息子はつれてこないように言われました。
父はわたしの現状を良く知っているはずなのに・・・。
視野が狭くなってきているんだなぁと思いました。

夜は職場の忘年会がありました。
そのときにまた父から電話が。
退院することにしたと言うのです。
「薬も全部返したしな、強行突破や。
先生は外出や外泊していいっていうてくれてはんねん。
もう精算してもらうからな。これしかないんや。」
などと言います。
話も埒があきません。
とにかく明日、病院に行って話すより他なさそうですが、
いったいどうしたというのでしょうか。

告知しなかったから、こんなことになってるのか。
どんよりした厚い雲が、わたしをすっぽり覆っています。

苦しいです。父はどうなってしまうのでしょうか。
明日が来なければいいのに。

暗い日記でごめんなさい。


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なんだか

父がわたしと距離を置くようになってきた気がする。

近くにいるのに、遠くに感じる。

長居は無用とばかりに、「そろそろ帰り」と促すのはなぜなんだろう。

父の身の回りの紙には、文字が溢れている。
薬袋、日程表、余白は父の几帳面な文字で埋め尽くされている。
「メモ帳持ってきて」に始まり、「ノート持ってきて」「A4の用紙持ってきて」
書く事で気が紛れるらしい(親子だ・・・!)
メモの内容は「○時、食事。気分が悪く一口でギブアップ」「○時、○○(わたしの名前)来る。」などその日の内容、株の相場のこと、そして最近は「歌を作るんや」といって、何やら書いている。本人的には「さかな、さかな、さかな〜♪」のようなおもしろソングを作りのだそうだが。病院を風刺して、薬の名前、病名など取り込むと息巻いていた。あまり素敵な案ではないが、うちにうちに向かっていくマイナスの感情を少しでも放出できればいいなと思う。

あまりまじまじと父のノートを見たことがなかったのだけれど、
今日ひらりとめくったページに連絡簿が書き記されていた。
父は準備を始めたのかもしれないと思った。
何も言わないけれど、何かを感じているのだろう。
わたしのために知らんぷりしてくれているのかもしれない。
そう思うと苦しかった。

昨日は父の友人が来た。
父の交友関係をわたしはあまり知らない。
だけどこの父の友人が父を訪ねてくるのは三度目で、
父にそのような友人がいたことがただただうれしい。
父が幸せな気分で過ごせる時間が少しでも多ければ・・と思う。

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おかげさまで。

今日は笑顔の父に会えました。
ベッドから起きれなかったけど。

起こっていないことを想像して苦しむのはやめよう。
その時々に、対処していけばいいさ。

そういえば編み物しています。

無の境地〜!

ええ感じ〜!

カシミアはいってると違いますなー☆

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