バンビ☆ツアーズ

眺めがいいです。

20070726105434
戻ってきたら特等ベッド。
景色いいのです。

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わたし

わたしは強くない。

わたしは弱くない。

わたしはわたし。ただそれだけ。

強いも弱いもないから、

悲しいときはしくしく泣く。

楽しいときはくすくす笑う。

ときどきは怒ったり、眉毛を下げて困ってみたりもする。

わたしはわたし。ただそれだけの存在。

涙は流れ、そして渇く。

悲しみに覆われた心も、やがて解ける日が来る。

生きていれば、その日は来る。

生きるということは偉大なこと。

大きな可能性を秘めて、

ただのわたしは今日も生きる。





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しし座が12位だった日(inめざましテレビ)

めざましテレビの占いでしし座が12位だったからか、一つもラッキーなことがなかった一日。

今日、手術が行われた。11時過ぎ、父が手術室へ運ばれていく。
「リラックスして、おまかせコースでね。」と声をかける。昨日寝つけなかったけど、ウトウトはしたんだとか。だけど朝の血圧が90を下回っていたそうだ。

父を見送り、6人部屋の真ん中から窓際への引越しの荷造りをはじめる。窓辺の人は今日退院。ナイスタイミンッ!!やはり展望良好である。入院は窓際に限りますね。

待つこと6時間半、もちろんDS三昧です。なるべく何も考えたくないのです。ときおり、売店に飲み物やおやつを調達に行きます。詰め所の前を通ると、内科でお世話になっていた先生を見かけ、ついつい泣きそうになってしまった。(相手はわたしに気づいていない)何も考えない・・・。

手術を終えて、執刀医が説明のため、わたしの元へ。摘出した胃・リンパ節・すい臓を見せながらの説明。見せる必要あるのか?あまりの生々しさに、呆然とする。呆然とさせるのが狙いなのかな。その説明は決してよいものではなかった。リンパ節に広範囲の転移が見つかったからだ。「ガンの手術としては今回が最後の手術」「再発する可能性が高い」などの言葉の前に、立っているのがやっと。いくつか質問をしてみたけれど、覚えていない。その後今しばらく病室で父の帰りを待つ。窓からは川や町、国道が一望できる。そのすべてと自分が切り離されたような気持ち。声をあげて泣けば、同室の人たちは父の病状を悟るだろう。そして自身も不安を感じられるだろう。わたしは外の景色を見ながら静かに涙をこぼした。悲しむことも必要だから。笑ってあげたいから、泣いておくのだ。

その後、父が詰め所横の部屋に戻ってきた。たくさんの管が父を生かしてくれている。父は私の顔を見るとほっとしたようだ。わたしはねぎらいの言葉をかけるとき、少し涙ぐんでしまった。きっと朦朧として覚えていないだろうから大丈夫だけど、こんなにたいへんな手術をして、こんなに大きな臓器をとってしても、ガンは依然として、父を蝕み続けているというのか。どうか苦しめないでほしい。父を苦しめないでほしい。

廊下で執刀医とすれ違い、さっきの言葉の真意を確かめる。「最悪半年」ですよね。「もって半年」ではないですね。と。医師からはその可能性があるということが告げられた。末期がんなどの余命宣告がありますが、そういう段階ではないんですよね。とたずねると、そういう段階だ、との答え。

父はマスク姿で、「意外に痛くなかったで、ほんまに胃 なくなったんかな?」と言っていた。興奮しているのか、いろいろ話そうとしている。ときどき記憶が混乱しているようす。

食べるのが大好きで、早速から揚げの話をしている父が、一週間の絶食絶飲。

そんなこんなで8時半。泣きながら帰ってくると、夫と子供の姿がない。

悲しいのは私のおなかが減ること。こんなに悲しくてもごはんは食べられるんだなぁ。



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幸運とアンラッキー。

ここ一年くらい、DSのCMを見ては「欲っしいなー。いいなー。」と夫にチラ見光線を送り続けてきた甲斐あって我が家にDSがやってきた。ふふふ。恐るべきチラ見光線である。

夫が会社の同僚から格安で譲ってもらってもらったのだ。夫としては大喜びして踊りだすくらいの勢いのリアクションを想定していたらしく、「おっ、ありがと」と平常運転でいたってそっけないわたしに、がくーんとなっていた。「嬉しくないの?」とも聞かれた。嬉しいよ〜。決まってるやん。

自分でも不思議なんだけど、すごく嬉しいのに気分が盛り上がらない。ここ何週間か、固定のテンションで過ごしてきたからか、なんか心が硬くなってしまったみたいだ。

息子どんには小学校に入ってからゲーム機解禁にしようと思っているので、DSの存在をおおっぴらにできないのも、テンションが上がらない理由か。(ちなみに息子の欲しいものリストのダントツ第一位の座はつねにDS…。)

片隅に放置されたDSを見かねて、夫が何回も「もっと喜ぶと思ったのに…。」なんて悲しそうに言うので、さすがに申し訳なくなって「ほんじゃカセット(言い方古い)買いに行ってくるわ!」と右手を差し出してみた。「おつり返してね。」と一万円握らされて、温かく送り出されるわたし。う〜ん。根っからお父さんだな、この人。

その後、マイフェイバリット「いただきストリート」を求めて、二時間半彷徨うことになるなんて、その時の私は夢にも思わなかった。「すぐ帰ってくるから、先に寝ててね」なんて息子はんにも挨拶して、着のみ着のまま半分パジャマなリラックススタイルで出発。

しかし町内のゲームショップでマイフェイバリット「いただきストリート」が買えなかったことで、逆にダダ上がりになっていくテンション。次の店、次の店、と、どんどん家から遠ざかり、走行距離も30kmを突破。夜更けのドンキホーテで、若者の熱気の合間をスタスタとくぐりぬけ、ゲームコーナーへ。オーバー30のゲームへの執念は「腐女子」なんて呼ばれても何一つ言い返せないところまでヒートアップしている!だって半分パジャマだからネ!まぁ、パジャマも元お洒落着なんだけどネ!

ドンキホーテも撃沈して、最後のゲームショップにたどり着いたのはam1:00を過ぎた頃。ここも売り切れ・・・とあきらめて、他のゲーム購入にシフトチェンジを試みる。わたしは「コレ!」というものがないとき、ものすごく優柔不断になる。DSコーナーをマグロばりにぐるぐる回った。1:30、いい加減眠くなって、マリオを片手にレジに並ぶ。あきらめきれず、メガネ男子店員(非イケメン)に「あの、いただきストリートはいつ…」とたずねるや否や、一瞬メガネがきらりと光った(ような気がした)のだった。そして出てきた「いただきストリート」わたしもかなりテンションを上げて「二時間探してタ・・・ウレシ・・・」と喜びを伝えておいた。ありがとうメガネ。きみはいいヤツだ!

これがここ最近の幸運話だ。そしてついでにプチ夫自慢。

そんなラッキー続きで気が緩んでいたのか、私は今日初めて「インロック」なるものをしてしまった。車の鍵を車の中に置き去りにしてしまったのである。とりあえず夫に電話。「ロードサービスに電話し。」とあっさり言われて、なんだよもう!と思うがDSパワーが健在なのか、わたしのムカつきバロメーターは微動だにせず。スーパーの駐車場で息子はんと待つこと1時間半。(購入した食品はスーパーのおばちゃんが冷蔵庫で保管してくれていた)レスキューされて無事帰還しました。待ってる一時間半が、なんかここ最近忘れていたぬる〜い時間で、すごく癒された。人間たまにはぼけーっとジュースすすらなあきませんな!

わたしの気力も充電できたところで、明日、父が手術します。

がんばれ父。

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昨日から

父が再入院しています。

今日は大腸ファイバー。内視鏡検査です。ポリープとか見つからないといいなぁ。

鹿丸氏、今日は療育の日です。最近は予約がとりづらくて、一週おきのはずが二週も開いてしまいます。こうして予定が重なった時に、キャンセルするべきか迷ったけど、強行突破。車で約1時間かかる療育は4時から。父の病院には6時ごろ再度行く予定。分刻みですな!

ドコモのCMの長瀬くんのように2人になりたい…!

しかしその場合、息子は二人とも自分と一緒にいて欲しいと主張するに違いない!!

〜なんて空想に耽ってないで、仕事行こうっと!行ってきます。

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お伊勢さん詣で(参拝編)

朝、家を出るときは厚い雲に覆われていた空ですが、かの地につくとこんなに素晴らしい青空!橋を渡れば伊勢神宮です。
この橋を渡れば


お伊勢さんの何が好きかって、それはあの場所が持つ神聖な雰囲気と、一本あれば町おこしが出来そうな立派な大木がゴロゴロあるところです。
大きな木

これまで、伊勢神宮で大木の中に身をおくと、自分のちっぽけさを感じました。だからこそ包まれるような安らぎを感じていたのだと思います。だけど今回は木から何かを感じることが出来ませんでした。きっとそれほど強く癒されることを望んでいなかったからかもしれません。そしてどちらかと言うと一緒に行った父や夫や息子に安らぎを感じて欲しかったのですが、どうだったでしょうか。

階段の先に
階段の先に本宮があります。
強い風が目隠しの白い布を吹き上げ、きりりと研ぎ澄まされた空気の本宮が。いや〜強いっ!

子供意気投合
に、にわとり?と目を凝らすとどうやらニワトリではなく尾長鳥なんだとか(by父)子供陣は意気投合して「こっちにもいるぞー!」なんて盛り上がっておられました。もちろん初めてお目にかかったお子さん達ですが。なんだこの団結力。

参拝を終えておかげ横丁へ。息子どんが機嫌を損ねて写真は撮れず。ちゃっかり昆虫キーホルダーを買ってもらっていました。

赤福本店。

そしてお伊勢さんといったら外せないのが「赤福茶屋」五十鈴川に面して縁側があり、そこに座っていただく赤福の風情。大好きだー!

柔らかい赤福を頬張りつつ、五十鈴川を眺める。昔の人もお伊勢さん参りで御茶屋に寄ったんだろうなぁ。変わらないってことは、なんかすごいなぁ…!と、しみじみ感じました。

うう・・感涙。

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お伊勢さん参り(腹ごしらえ編)

退院した父を引っ張りまわしています。
大好きなお伊勢さんに行って参りました。なぜここはこんなにもわたしを魅了するのでしょうか。あぁ、やっぱりいい!

お伊勢さんに行く前に「松阪で松阪牛のホルモンを食べよう!」ということになり(夫買収の意味合いもあります)行き当たりばったりで伊勢道を降り、父の記憶を頼りに松阪駅周辺に向かいました。

そのまま行き当たりばったりで入ったお店千力(←リンク)
大当たりでした!
焼き物の前にレバー・ハツ(心臓)の刺身、ユッケを食べました。この時点でどうやらテンションが上がりきり、写真を撮り忘れていた・・・!レバーも新鮮だからいっさい臭みがなく、鹿丸どんが「おいしー」と言って嬉々として食べていました。ごま油にちょっとピリ辛のタレが混ぜてあるみたい!おいしいです!ハツ(心臓)の刺身は初めて。どんなお味かしらと興味しんしんで注文。しょうが醤油でいただくのですがこれまた臭みが全くなく、他に形容しがたい食感でした。実にあっさり。鹿丸どん、これまたお気に入り。ユッケは言わずもがな・・・!夫が器を握り締めていました。よこせ!
普通はつまみ感覚でいただくはずのナマモノをがっつくわたし達家族に父は呆れつつも、食欲を刺激されたようで、思いのほか箸が進んでいました。

肉・肉・肉!
いや〜うまい!塩タン、久しぶりに食べました〜!スーパーで売ってるタンとは厚みが違います。うーん、最高!他はシマ腸、ミノ、赤ミノ(ホルモンより)カルビなど頼んでじゅ〜じゅ〜焼きました。おいしくなかったら嘘でしょう!
テッチャンがいっぱい
シマ腸は思いのほか柔らかかく、程よい脂加減でした。いや〜ご飯がすすむ。
鹿丸氏は高級デザート(580円)ココナツアイスをご注文。今日だけだわよ!(睨みを利かせてみる)

ココナチュアイス
どんだけ嬉しいんだか、満面の笑み!食べ終わった殻まで持って帰りたいと言う・・・。頑として持って帰る姿勢を崩さない鹿丸どん。仕方がないので水洗いして持たせてやりました。

それにしてもお店の人は不審に思っただろうなぁ。あはは!

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そば楽

退院した日、父を連れてお蕎麦を食べに行きました。

普通の家


住宅地の中にこっそり開いているお店「そば楽」です。

日曜・月曜・祝日お休み。
営業時間は11:00〜15:00
一日限定30食!
大和郡山市南郡山町465−13
TEL 0743―53―1057

ご自宅を改装されて(ほとんどそのままだが)いるこのお店。
知り合いのおうちの居間でお蕎麦を振舞っていただいているような、
妙にほっこりする空間なのです。
庭・・・。
手入れの行き届いた家庭的なお庭。
蕎麦うち場
ここが普通のおうちにはない場所ですね!
そばチップス
蕎麦チップス。ポリポリしてうまい!
そば味噌
そば味噌。蕎麦の食感がプチプチして良い!
ざるがうまい
ざる蕎麦。むっちりした食感の2:8蕎麦です。
信州八ヶ岳産の蕎麦だそうで。
蕎麦は旦那さん担当。つゆは奥さんが担当されているのだそうです。
もちろんどちらも旨いです。
食い散らかしたそばがき!
そして特筆すべきはこのそばがきです。ふわふわのゴマ豆腐のような、優しい食感です。父と二人で研究したのですが、このふわふわ感はきっと山芋が入ってるんではないだろか・・・!とにかくふわふわでわさびとの相性も抜群。
そば団子
そしてデザートの蕎麦団子。こちらはそばがきとは違ってしっかりとした食感です。それでいてパサパサしていない。う〜む、奥が深いぞ!蕎麦。

食器などもすべてシンプルなのですが、それがかえって、心のこもったそば料理を引き立てているようです。心づくしのお料理のセットは1500円ととっても控えめ。ごちそうさまでした。

帰り道に豊臣秀長のお墓によりました。

そのお墓。
大きな木に囲まれた小さなお墓でした。

父から秀長の講釈を聞き、お参りしたそのお墓は、秀長公のお人柄がしのばれるような凛とした場所でした。
父の後姿
講釈した人。

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とにかく退院。

手術まで日にちがあるのと、元気なので「もったいない」という主治医の先生のお心遣いで、
明日、とりあえず退院することになりました。

今日はお掃除4時間頑張って、なんとか前よりは快適な空間が出来たと思ってます。
さすがに今日中にやってしまいたかったので、タイムカプセルは開けませんでした。
わたしって、やるときはやる子だったのね!!(自己採点)
父が「何ということでしょう〜!」なんて目を潤ませるのを期待したいと思います。

ところで明日は麻酔科で家族同伴の受診日です。
少し不安だったりします。初めてのことですからね。

10日ほどしたら病院に戻るのですが、胃を全部取ってしまう父は
「もう食べれないから、いろいろ食べる!!」とはりきっていました。
食べれるだろうよ・・・!少しづつにはなるみたいですが。
刺激物とお酒を控えれば食事制限はナシだから、肉を頬張りたいのだとか。
病院はお魚ばっかりでしたからね。なんだか献立をメモしていました。
父は料理が大好き、食べるのが大好きなので、
この10日間めいいっぱい楽しんで欲しいと思います。
わたしも便乗していっしょに楽しみます。食べ歩きます。

わたしはと言うと、今週末は息子の保育園の夏祭りです。

焼きそば焼きますよ〜!!(売るんだったかな?)

それから息子どんが楽しみにしている西遊記の前売り券、
買いに行かないと!

忙しい!あぁ忙しい!(笑)

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おひさしぶり

数日に一度のペースで実家のゴミ屋敷に帰って、ゴミをまとめています。

ゴミというか放置物です。

わたしの大好きな小説に「人生はバターの夢」ってのがあるのですが、主人公の少年のおじさんたちが共同生活しているアパートが大体こんな感じです。父は「捨てられない族」のようで、なんでも置いてあります。しかもただ置いてあるだけだから始末が悪い。たくさんあったのはスーパーの袋、割り箸、駅や観光地・銀行などにおいてある小冊子、パンフレットの類、父の会社時代の書類、雑誌、書籍などです。紙ばっかり!床が見えないくらいです。映画「モーツアルトとクジラ」のドナルドの部屋を思い出しました。鳥のフンがないだけましか・・・!

そんなわけで、なかなか処分できなかったものをドンドコ捨てていきます。すでに30袋くらい詰めて、18袋は捨て去りました。あと12袋・・・明日はゴミの日です。頑張れるのか?自分!

45ℓ×30=1350ℓになります!!!1350ℓのゴミ!

こういうしょうもない計算をするために、まとめたゴミ袋の数を覚えているわけですが、中にはわたしの小学生の頃に着ていたジャンバーや、高校のブレザーなどが含まれ、そういうものがまだタンスに入っている「実家の時間が止まっている状態」になんだか切ない気持ちになりました。この家には20年も前に家を出た母の荷物の残骸も多数あります。主のいないモノ達がひっそりと年老いていきます。家全体が積み重ねた時間の重さに耐えかねているようでした。

すっきり片付けて見せるからね!と気合を入れてみたりして。とは言え、そんな父の娘ですから私も片付けは得意ではありません。9:1くらいの割合で捨てるもの・捨てないものに分別しているだけです。

父は退職後、株式投資を本業にしていて、パソコンの机の周りに書類が氾濫しています。その片付けは先ほどの取捨選択の判断が難しくて面倒です。二時間も片付けると疲れてくるし、判断力も鈍ってくるので、昨日は自室で想い出に耽ったりしてみました。本棚から、読んだ覚えのない本を引っ張り出したり、古い雑誌を眺めたり、スケッチブックをめくったり。

そんななか、引き出しから出てきた手紙に思わず笑ってしまいました。

〜元バイト先の先輩男子からの手紙〜

バイト先は忙しいこと、みんな元気なこと、彼女と別れたこと、などが書いてあり、また会って話したいね。電話してね。みたいなことが小分けにして書いてありました。笑ったのは追伸です。

「PS、まだ風船のようにふわふわ浮かんでいるの?

      そのまま飛んでいってしまわないようにね。」

と書いてありました。

わたしっていったい・・・?

これは大学生のころです。はたから見てもかなり自由人だったわたし。今に比べたら、何の拘束もなく、とんでもなく自由だったはずなのに、あの頃の自分はちっとも自由を感じていなかったなぁ。むしろがんじがらめだったのです。からめとられないように、必死に逃げている感じだった。何から逃げてたんだろうか。

今は、しなければいけないことはたくさんあるし、子供の命は預かってるし、言わば責任重大なのですが、なぜだかとっても解放されています。ありがたいなぁ。

責任を取ってもらわなければならない立場は、自由ではないのかも。
自分で責任をとることが、自分を自由にするのかな?

ちなみにそのバイト先はゲームセンターでした。バイトの初日に同じ年の店長(20)から「これはみんなの血と汗と涙の結晶やから!」と、ちょっと得意げに(決まった!的に)マニュアルを手渡された時には「もはやこれまで・・・」と覚悟を決めました。なんと言うスポ魂ヤンキー的な発想・・・!無理だ!受けつけない・・・!(ヤンキーだいきらい病)
そういえばわたしはそういう暑苦しいフレーズが大嫌いなクールな若者でした(笑)そんなわたしも今では自分が暑苦しいことを言うのです。

健全、健全!

それにしても、いつになったら片づけが終わるのだろうか。
そもそもこんなことをしている場合か?まぁいいや。

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おはようございます。

昨日、父は告知を受けました。

横で見ていて、ショックをうけているのが分かりましたが、
取り乱したりせずに、医師の説明に聞き入っていました。

ときおり、わたしと同じような質問を医師にして、あぁ、親子だなぁと変なところで実感しました。父はすべて医師にゆだねました。手術を受けるということです。どうか転移がありませんように。祈るばかりです。

昨日の朝まで、わたしは迷っていました。そして父が受け入れられるのか、不安にも感じていました。私はひとりでたくさんのものを背負っているような気分でした。重い足取りで病院に向かい、バカみたいだけどトイレの鏡に自分の顔を映して「頑張ろう」と自分に語り掛けました。医師が来るまでの二時間あまりをどのような話をしてすごしたのか、あまり覚えていません。父はここ数日よくしゃべります。久しぶりに会ったからというのもあったと思いますが、やはりどこかで不安の影があったのでしょう。打ち消すようにしゃべっていたのではないかと思います。同じ病室の方は静かな方ばかりで、気になったのですが、ある期間くらいは人に迷惑かけてもいいんじゃないか、と少し図々しくさせてもらうこととしました。大声で話しているわけではないのですし。

そしてとうとう告知の時が来て、わたしは自分の抱え込んでいた重たい何か(今思えば非常に大切な決定権のようなもの)が父に移っていくのを感じました。これからはわたしが父の重たいものを少しづつ、外に出す手伝いをしたいと思います。

まずはじめに部屋を換えてもらいたいと思いました。最初に父が入ったベッドは6人部屋の真ん中で両側がカーテンでした。父は点滴に加え、尿管にもチューブをつないでいたため、一日のほとんどをベッドの上で過ごします。その視界がカーテンに覆われているだなんて・・・。ましてや告知を受けた後、そのような閉鎖的な空間に父を置いておくことが嫌だなと思いました。そして我が家のカンフル剤の息子が来るにはこの部屋では息苦しすぎます。昨日は土曜日で、違う部屋に子供がお見舞いに来ているのを見ました。覗いてみると、その部屋の窓辺のベッドが空いています。町を一望できる眺望のよいベッド・・・。ここに引っ越せないかな?と思いました。告知が終わって、看護師さんに「わたしの息子が落ち着きのない子で(鹿丸ごめん!)お見舞いに気を使うので部屋を変えてほしい、窓辺なら子供も外の景色に目を奪われてじっとしているかもしれない(鹿丸、たびたびごめん!)」などと言い、検討してもらうこととなりました。看護師さんに、わたしが目星をつけているベッドのことを話すと「騒がしいの大丈夫ですか?」との言葉。「はい、大丈夫ですが」「暴れても?」「えぇ〜???」と医師と父とみんなで顔を見合わせて笑いました。いろんな事情を抱えている人がいるようです。父を先に部屋に返し、トイレに行きました。そしてトイレから出るとその看護師さんがいらしたので「わがまま言ってすいません。孫の顔見ると、少しでも元気が出るかと思って・・・」と言うと「大丈夫ですか」と優しく声をかけてくださいました。こらえていた涙が溢れました。「何でも言ってくださいね、お部屋のほうも考えますからね。暴れている人も最近は落ち着かれて、もぞもぞしているだけのようですし、もしよかったら代わってみて、気になるようならまたお部屋移られてもいいですし」と言ってくださいました。父に相談すると「それでもいいよ」と言ってくれました。安心したら何だかお腹がすいてきて、わたしは少し外に出てコンビニにおにぎりを買いに出かけました。父の昼食と一緒にとろうと思ったのです。

病院の廊下で、お隣のベッドの人とすれ違いました。「お父さん引越しされましたよ」と教えてくださいました。「お騒がせしてすいません」と言うとにこやかに手を振ってくださいます。他の方もそうでした。みなさん、わたしと父のおしゃべりには寛容でいらしたのですが、わたしが小心者なのです(笑)

新しい部屋の眺めのいい窓辺で、父が荷物を片付けていて、「ごめん、ごめん、一人で引越しさせて」と声をかけ、新しいベッドを整えました。こんなに素早く対応してくださるなんて、仕事のできる人なんだろうね、と父と話しました。感謝です。向かいのベッドの人にも、面会者がいて、話し声が聞こえてきます。手前のベッドの人は娘さんとお孫さんが帰ってしまうと、何かにつけて看護師さんを呼びつけて励ましてもらっているようです。看護師さんの仕事の大変さに感心しきりです。そんなわけで父とも心置きなく話せます。父の昼食が運ばれてきて、勢いよく食べる父に「すごいなぁ、食欲はあるんやね。お腹が痛くならへんなんてよかったやんか!」と全肯定し、状況がよくなってきていることを父と確認しました。心配なのは同室の人が暴れるという夜ですが、父のいびきもかなりうるさいので、いい勝負になるかもしれません。世の中お互い様です。父もそう思っているようで、他の人のことに文句を言ったりはしません。文句を言う人の文句は言っていましたが(笑)

父も現実を告げられたことで、現実的な対応を考えることに没頭できるようです。途中のものの処理や、親戚への連絡などです。それでも不安はじわじわと押し寄せてくるものです。その時は我慢せずに話して欲しいと伝えました。

わたしは今まで、親の介護や、看護をしている人を「すごいなぁ、自分を押し殺しているんだろうなぁ、忍耐やなぁ」なんて考えていました。実際に自分がその立場になると、気持ちの上ではそう大変でもないなぁと思いました。少なくとも自分が我慢しているという思いはなくて、「やりたいからやっている」のです。でも、そんな風になれたのはやっぱり息子のおかげだなぁと思っています。子供を育てることで、いろんなことを受け入れる容量が大きくなっていたんだと思います。そしてわたしの場合、ものすごく気楽に遊びほうけていたので、知らない間に充電されていた気力があったようです。よかった!楽しいことをたくさんしておけば、いざというときの力になるのだと思いました。

そんなわけで、本当の闘病生活がはじまりました。夕方に帰ったわたしは早めの夕食を済ませ、6時半過ぎ、休憩しようとベッドにもぐりこみました。そして、気がつけば朝!!!6時です。ほぼ12時間、眠っていたようです。これはわたしの2日分の睡眠です。ちょっとビックリしましたが、おかげさまで元気いっぱいです。今日の頼まれ物は「道元の本」だそうで、実家に探しにいかなくては〜!

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